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承久の乱(じょうきゅうのらん)
<解説>
鎌倉時代の承久3年(1221年)に、
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱
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って、
なんで今更、テスト勉強?!
いえいえ、大人になったから分かる歴史解釈があります(大人目線?)
で、
(ついてきてね)
とゆふ訳で、
そもそも、なんで、
※にしきのみはた:天皇が討伐の為に兵隊を差し向けること
今の時代に当てはめると、
天皇が、国会に自衛隊を入れて
国会運営させないようにすること。
※ちょっと・ちがうけど・そんな感じ
鎌倉幕府が出来て、
源三代が、あっとゆう間にいなくなり、
(此方の話はまた)
合議制を経て、
北条時政による執権政治の時でも、
お飾りの将軍は、ちゃんと、
京都から呼んでおりました。
※征夷大将軍だけが、緊急的に政治権も持てるための措置です
で、
政治の実権は、実質・鎌倉にあったので、
当時の天皇は、面白くないわけです。
(思うように操ることもできないので)
で、
後鳥羽上皇が、とうとう、
鎌倉に兵を出しちゃいました。
※この時点で「殿・ご乱心」なんですけど・・
吃驚したのは、鎌倉の武将たちです。
親方は「北条」、なのに、
天上人から親方を殺せと命令が下るわけです。
さぁ~どーすべか。
「鎌倉殿の恩を忘れたか。今の世があるのは、殿のおかげ
主君の恩は、山よりも高く、海よりも深いのだ」と、言い放ちます。
これに、チカラを得た鎌倉の御家人たちは、
一致団結して、
正規軍(寧ろ反逆な天皇方)を破って、
一気に京都の地位をも下火にします。
めでたし・めでたし・・
なのか
[完]
はい。
何故今、この話?!
なのかという解説をすると、
◯だ、△だ、
らいとだ、れふとだ、
と、大騒ぎになってもなので、
何も言いませんが、、、
大丈夫ですか?!ジャパン